Robert Glasper / Black Radio Recovered: the Remix Ep

Black Radio Recovered: the Remix Ep

Black Radio Recovered: the Remix Ep

ネオ・ソウルというタームが流行したのは10年以上前の話であるが、そこから現在に至るまでポップのフィールドにおけるブラック・ミュージックの更新者たる資格を有する存在はその旗手たるディアンジェロエリカ・バドゥたち(あるいは同時代におけるティンバランドミッシー・エリオットたち)以外にはいないとここでは言ってしまっておう。例えばレトロ・ソウルなんかはエイミー・ワインハウスがサラーム・レミと共に作り上げた「バック・トゥ・ブラック」だけで十分だし、クラシカルな響きに頼りすぎていたせいかジャンルとしての射程はあまり広いものではなかったように思える。いや……そもそもメインストリーム・ポップスがアーバン化しきった現在においてはブラック・ポップにおけるサウンド・プロダクションの特異性というのがいまだ存在するのかさえ疑わしい。
ブラック・ポップのメインストリームへの同化が悪いとは思わないが、やはりクラシカル・ソウルへの憧憬を、ニューソウルのコンシャスな態度をもって、トライブ・コールド・クエストのジャズ・ヒップホップの流儀でジェイ・ディラの持っていた音響への目配せと共にブラック・ポップとして昇華せしめた彼らにはネオ・ソウルという(胡散臭くも優美な)タームを作り出すほどに固有性があり、過去の黒人音楽の歴史へのリファレンスに富みながら、同時に時代の空気を吸い込むオープンな姿勢というものがあった。

とはいえ、現在ネオ・ソウルを援用することで必ずしも新しい作品足りえるかと言えばそれは疑問である。ロバート・グラスパーの「ブラック・レイディオ」に感じたのはまさにそこであった。エリカ・バドゥやレイラ・ハサウェイなどネオ・ソウルの代表格を招いた「ブラック・レイディオ」はブラック・ポップのジャズマンシップによる発露としては確かにウェル・メイドな作品ではあるとして、最新型のブラック・ミュージックと捉えるにはやはり2012年の作品としてネオ・ソウルを展開しようとすることへの少しのぎこちなさが存在している。かと言ってジャズマンの美学を感じられるほどのパーソナリティが色濃く残っているわけでもない。モダン・ジャズの隙間を活かしながら器用にシンガーやMCを招き入れるサウンド・メイキングはプロデューサーとしての手腕を見せつけるがミュージシャンとしてのロバート・グラスパー本人のピアノは伴奏に徹し、むしろクリス・デイヴのドラミングの方が主役を食っているのでは……という印象すら残った。
ここで面白いのはロバート・グラスパーのそういった実験精神の失敗、ぎこちなさがクオリティとしての失敗へと繋がることは踏みとどめられていることだ。ジャズマンの時代錯誤的な実験精神が異形のポップスへと繋がることはかのマイルス・デイビスが晩年にはからずも実践してしまったことでもあるが、前衛であるべきだとか音楽としての進化だとかいうお題目の失敗は必ずしも聞く価値の無い音楽を生み出すわけではない。素晴らしい録音の中である程度のキャリアを積み重ねてきたアーティストたちが流麗な演奏とボイス・パフォーマンスを繰り出していき、複雑に交錯するテクスチャーには艶やかで優美な気怠さとメロウに鳴り響くグルーヴィーなソウルがある。まあ一言で言ってしまえば洒落ているのだ。ということで個人的にはなかなか愛聴させてもらった。



さて前置きが長くなったが「ブラック・レイディオ・リカヴァード・ザ・リミックス」である。ここでもリミックスの人選はヒップホップ人脈に傾いているが決して最新のビートを取り入れているわけではない。しかしそのことはやはり、作品としてのクオリティを左右するものではないのである。
前半の2曲、ピート・ロックとナインス・ワンダーの2人は慣れた手付きで原曲を再構成していくがやはりそこで斬新な手法を取り入れようとはしていない。クリス・デイヴのドラムを組み替えてサンプリング・ミュージックのビートを仕立てつつも原曲のフォーマットを崩さないことへ神経質なまでに注意を払っているにすぎないが、昨年マッドリブと組んで素晴らしいアルバムをリリースしたジョージア・アン・マルドロウはここでも耳を傾けるべきサウンドを展開している。反復が強調されるベースラインには原曲の破綻なく作り上げられたプロダクションをジャム・セッション的に、あるいはフリージャズ的に再構築する強度があり、それは彼女の煤けたサイケデリアによって美しく裏付けられている。
エストラブも相変わらずというか、ザ・ルーツの流儀をもって自らが優れたドラマーであると共に優れたプロデューサーであることを同時に証明しようとする。ザ・ルーツロバート・グラスパーを招き入れたようなこのリミックスはロバート・グラスパーとクエストラブの目指す点の差異を明らかにしている。すなわちクエストラブはジャズとソウルの接合にアーティスティックな価値を見出すのでなく、むしろ自らも大きな要因であるネオ・ソウル的な感性を再びポップなブラック・ミュージックへと変換していこうとしているのだ。ロバート・グラスパーのセルフ・リミックスもブラック・ミルクによるカラフルなサンプリングに寄るところが大きいとはいえ十分魅力的だ。
ラストの、"Dillalude #2"もまた素晴らしい。ディラのビートを再解釈して弾き直すというテーマ自体はありきたりと言わざるを得ないとはいえロバート・グラスパーの心地良く落ち着いたピアノとクリス・デイヴのタイトに冴え渡るドラミングに支えられるジャズ・ミュージシャンのリラックスした演奏感覚は退屈とは無縁であり、このバンドのタイトな演奏が味わえると同時に、ディラがサンプリングという技法を用いて美しいソウルを再発掘していたことを改めて認識させられる。


むしろこのリミックス・ワークで強調されるのはリミキサーの個性と言うよりも「ブラック・レイディオ」におけるジャズ/ソウル/ヒップホップの接合の配分の塗り替えである。言ってしまえばロバート・グラスパーがリミキサーたちの手腕を借りてもう一つの接合の可能性を探っているような印象すら感じられる。そもそものコンセプトが斬新でなく、またここでの人選もそのコンセプトに則ったものである以上異なる領域の驚きというのは感じられないが各々のリミキサー、特にジョージア・アン・マルドロウとクエストラブの働きは見事でこのリミックス集を十分価値あるものへとしている。また、「ブラック・レイディオ」において抑えられていたロバート・グラスパー・バンドの演奏感覚がいかにソリッドかを再び思い知らされたのも収穫である。なるほど、どうやら優れたミュージシャンにとって多少のコンセプトの錯誤は問題とならないらしい。