2013よく聞くアイドル・ポップス雑感②

また最近よく聞いているアイドル・ポップスについて感じたことを書きたいと思います。


AKB48 / 恋するフォーチュンクッキー
恋するフォーチュンクッキーType A(初回限定盤)
この曲を語る際に今更フィリーだとかオールディーズとかを参照に出して気の利いたことを言うのはもはや野暮というものだし、ダフト・パンクを引き合いに出すのも、はあそうなんですか……くらいしか言えないんでとりあえずそういうのを無しとして聞いてみる。すると、ここにあるのは驚くほどメロディアスなベースラインを軸に組み立てられた骨太なリズムと、それを彩るコーラス、雄大で懐の深いホーン・ストリングスであり、その流麗さと華麗さは秋元康の使い古されたリリックをあたかも賑々しく新鮮なもののように思わせるのに十分な響きを兼ね備えている。AKB48は確かに秋元康の存在を抜きにしては語れないグループであるわけで、そんな中この曲は手垢にまみれた歌詞を豊潤なダンス・ビートに乗せることを選択し、結果としてその響きが、あたかも彼女らが選びとった言葉であるかのような錯覚をもたらすことに成功している。それこそがこの曲の素晴らしい点ではないだろうか。これはアイドルソングとしてとても正しく、またあるべき姿のように思える。
まあ、AKB48がAKB商法だとか世間に後ろ指を指されていた頃に僕は後ろ指を指していた人間なのですが、それはさて置いてもこれこそはそうした雌伏の時期を乗り越えて、社会現象となった後、国民的アイドルとして鎮座するために必要な、老若男女の誰もがついつい口ずさみ、踊り出してしまいたくなるような微笑ましく愛らしい『Baby! Baby! Baby!』以来のファンキー・ポップと言いたい。


乃木坂46 / ガールズルール
ガールズルール (DVD付 / Type-A)
これまで乃木坂46は優等生的で清涼感のあるプロダクションに音楽的リファレンスを裏から忍び込ませることによって、驚くほどみずみずしく一貫性のあるシングルをリリースし続けてきた。33人という大規模のアイドル・グループでは声を匿名的な響きと化すまで重ねあわせなければならない商業的要請があるため、ボーカルによって固有のペルソナや意味を獲得することが難しい。そこで代わりにサウンド・プロダクションによって固有性を突き詰めていたわけだ。ここで乃木坂46が面白いのは、そうした試みが頭でっかちでコンセプト先行のもったいぶったものとして大袈裟に披露されるのではなく、あくまでJポップ的に抗菌されたテクスチャーの下でさりげなく目にすることができるところにある。自称音楽ファンだけが元ネタ探しと称して特権主義的に楽しめるような閉鎖的なものではなく、誰にでも良さがわかるキャッチーなポップスとして成立させる気概があるというべきか。
ただ、AKB48の夏ソングの没案をそのまま流用したかのような『ガールズルール』はデビュー以来貫き通してきたその美点を横にやり、見返りとしてアイドルバブルの昨今ではありふれすぎてしまったシンプルでエモーショナルな高揚を今更獲得しようとしている。若干生っぽいドラムスやギター、サックスという点に”らしさ”を感じられなくもないが、やはり高中音域に詰め込んだグシャっとした音像が完全にAKB的だしもっと言えばホイッスルとかそういう盛り上がりの要素をバカバカに詰め込んでるところがスパガっぽくもある。
狙い自体は成功していて出来自体は悪くないのだが、個人的にはやはり前述の美点を素直に引き継いだカップリング曲を擁護してしまいたくなるわけで……。完全に重たいキックと浮遊感あるクールなシンセによる不思議ちゃん系テクノポップ『他の星から』(MVが最高!!!!!)ギター処理の凄まじいダサさから90年代の意匠を匂わせつつそれにEDMのエッセンスを振りかけた『世界で一番孤独なLover』は新境地。泥臭さを完全に去勢しながらふくよかなキーボードのメロディラインとワン・ドロップ・リズムまで用いて半歩後れた心地良さを演出することで、『ガールズルール』とは違う夏の過ごし方を物語る『扇風機』とブラジリアンなリズムにさりげないストリングスを絡ませるアレンジもさることながらJ-POPには珍しいほど各楽器がちゃんと聞こえる音処理に好感を持たずにはいられない『人間という楽器』の2つはまさにこれ!と言いたくなる乃木坂流のポップスだし、メロディック・スピード・メタルの過剰さをアイドルソングの駆動力として強引に変換するという試みにしれっと成功している『コウモリよ』も……まあ、BABYMETALなんですけど悪くない。


Especia / AMARGA
AMARGA-Tarde-AMARGA-Noche-
これは素晴らしいのではないでしょうか。Especiaの2ndは1stに比べてずっと自信に満ち溢れて、確固としたヴィジョンがアルバム全体を支配している。すなわち80年代のシティ・ポップをコスプレのようにそのまま再現するという。ま、それだけなのだけれど、Especiaのずば抜けているところはソングライティングの圧倒的な良さと80年代へのフランクなノスタルジアにある。アイドルにシティ・ポップをやらせるということがどのような意味を持っているか、などという高尚なお題目、シティ・ポップの「批評的解釈」などではないわけだ。そしてそれはこのグループの持つディスコティックで享楽的な魅力に繋がっている。昨今のシティ・ポップ再評を背景にしながらの”Midas Touch”カバーなど聞き所は満載。ただしこのプロダクションのあまりの隙の無さはアイドルポップというよりは、レア・グルーヴにおけるカルト・クラシックあるいはブックオフ250円コーナーからの思わぬ掘り出し物という趣の方が強くもある。


BiS / DiE
DiE (SG+DVD)(LIVE盤)
6人編成となってもMVやプロモーションの過激さは健在。とはいえ、ドラマティックな表題曲もスカコアの『Mura-Mura』も「アイドルにやらせた」というフォーマットの面白さ(が未だ有効なのか?っていうのはともかく……)を抜きにするといかにもバンドマンが自分の得意分野を活かしてプロデュースしたって具合のオーセンティックなもので、ポップに振りきれたメロディの良さが耳に馴染む手堅いポップ・ロックといったところ。巷によくあるオマージュという美名を借りたB級ジャンル・ムービーの再演のような印象はあるけれど、そういうのに限って案外楽しめたりするものだと思います。


Lyrical school / PARADE
PARADE(初回限定盤)
ライムベリーとリリカルスクールは、アイドルとラップの掛け合わせという表面的な図式に限っては共通だがその性質は完全に異なる。ライムベリーがわかりやすくサンプルを活用したりラインを借用したりと90年代ヒップホップを大きな源泉の一つとする(それに留まるものではなく、もっと遡っていたり多種多様なジャンルを引き合いに出してはいるのですが)結果としてある種のノスタルジックな過去を想起させる側面があるとすると、リリカルスクールはアイドル・ラップシーン(そんなもんがあるのか、、)におけるジュラシック5のような存在だ。つまり、彼女らは過去の音楽的遺産の数々をモチーフとしようとする復古主義者ではなく、オールドスクール・ヒップホップの新鮮な溌剌さをアイドルというフォーマットに持ち込み、まったく気負いの無い姿勢でかき回す存在であり、それは「どう料理するか?」というサンプリング美学が立ち上がるよりもっと以前の話であり、ラップをパーティーの手法として無垢なまでに楽しもうとするオールドスクーラーたちのアティチュードを実演するかのようでもある。
最新作のPARADEはポップ・メロディを大胆にフックへと呼びこみながら、同時に今時では普通のヒップホップですら聞くことが難しい驚くほど太いブレイクビーツで楽曲にギアを踏み入れる。まるでガールズ・ポップのような賑々しいリリックを、技法やクリシェにとらわれる以前の言葉遊びの楽しさに満ちたラップと彼女ら自信のキュートさでコーティングすることで、彼女らはパーティーと恋愛が同じくらいにフレッシュで楽しむべきものであることをほのめかしている。


Dorothy Little Happy / colorful life
colorful life (SG+DVD) (Type-A)
ドロシーは曲が良いとはよく言われることだが、それは例えば東京女子流のようにドス黒いアレンジが凄いだとあるいは特定のジャンルを取り入れるセンスが面白いだとかそういう話ではなく、純粋にポップスとしてソングライティングと歌詞、歌唱をそれぞれ練り上げ、配慮しながら一つの曲としてまとめあげることで獲得されたまさしく「曲の良さ」であるように感じられる。そして、そうしたひたむきさとは楽曲としての質が高みに昇りつめるという形で結実するものである。実際この『colorful life』はギターポップ風のアレンジだが、かのジャンルにありがちな後ろ向きな側面を取り去り清涼感だけを抜き出してアイドルソングのフォーマットに組み込ませることで見事に少女たちの瑞々しく弾けるような魅力を引き出している。こと曲の良さといえば複雑な進行やマニアックなセンスなどに走りがちな昨今のアイドルバブルで、このような形の優れたポップソングが存在していることはとても頼もしい。


Bellring少女ハート / Bedhead
BedHead
マニアックなセンスと複雑な進行、それに乗っかるアイドルたちのボーカルはヤク中患者のようにヘロヘロであり、その分業は狙い澄ましたギャップの面白さを机上のものとして終わらせるに留まらない成功をもたらしている。またヴィンテージでアナログ・ライクな音色を添えてゴシカルな世界観を形成することでアイドル・ポップスというシングル偏重になりがちな分野におけるもっともありがちな失敗であるところのアルバムとしての統一感の無さも軽々と克服し全15曲だがまったく飽きさせることのない面白さを最後に至るまで維持し続けているわけで、確かにいわゆる「音楽性」は非常に高いようにも思えるが……でもこういう破綻したサウンドを目指した破綻のなさってなんか少し物足りないというか小賢しく感じられる。非の打ち所がないところが一番の非の打ち所っていうのはちょっと穿った見方すぎるか。