でんぱ組.inc / W.W.D / 冬へと走りだすお!

当然のことだが、セールスが良いということがその音楽をポップ足らしめるとは限らない。ポップ是如何?というのが難しい問いだとしても、そのことは今のチャート・ミュージックを見れば明らかだろう。なんにせよ、現在のアイドルブームがどれだけCDを売ったところで(島宇宙化という言葉が適切かどうかはともかく)そのムーブメントは未だ一つのトライブにおけるものであるわけで、異なる場所にいる他者の人生を提示し繋ぎ止めるような音楽が生まれているわけではない。
でんぱ組.incは断片化した文脈をある時には利用しつつ、ある時には避けようとするグループである。例えば“Future Diver”ではアニメソング的な曲調・展開を利用していた彼女らであるが、秋葉原イメージを援用しながら同時にその軸をうまくズラすことで“キラキラチューン”という見事なポップ・チューンを繰り出しているし、あるいは“Sabotage”や“強い気持ち・強い愛”という90年代ポップスのカバーを披露しながら”くちづけキボンヌ”ではTOTEM ROCKを作詞・作曲に起用することで90年代に目配せをするのみならず、(今では)より同時代的なシティ・ポップとも共鳴する。
このように彼女らは楽曲の方向性におけるイメージの固定化を避けながらゆらゆらとアイドルポップスを展開することで、時にアイドルという文脈から離れまた別の場所へと接近しようともする。そこに通底するものはアイドルなるものを常に対象化していく知性である。それはあるいは島宇宙と別の島宇宙を繋ぐだけでより広く人々に膾炙するポップスには成り得ないかもしれないが、少なくとも蛸壺に陥ることを避けようと外に目を向けているのは確かではないだろうか。今作はそうした彼女らが見せてきたスタイルの集大成とも言えるだろう。これまで用いてきた文法を2曲にまとめあげた『W.W.D / 冬へと走りだすお!』はやはり評価せずにはいられない魅力に満ちたシングルである。


“W.W.D”はもはや詩作という作業を放棄したかのような、赤裸々というよりかはいささか品がないとも言えるほどのあまりに直接的でパーソナルなリリックが売りとなっているが、そこには自らの人生そのもののキャラ消費を受け入れようとする、覚悟に満ちた清々しさがある。前山田健一作曲・編曲という前情報から我々が想像するサウンドの予想を何一つ裏切らないコンポジションもまあ悪くはない。
だが、ここで注目すべきはコンポジションそれ自体というより過剰な音数に満ちたトラックを用意しながら6人のボーカルをリリックと結びつけ、縦横無尽に展開しようとするそのプロダクションの巧みさにあるだろう。ギターサウンドからオーケストラ、テクノポップチップチューンと音色を効果的に使い分けながら詰め込まれたリリックを進行させていくという大曲志向はオタク的過剰さの表象でもあるが、その過剰さが細部への抜かりへと安易に繋がることなく、大仰しく芝居がかったでんぱ組.incという集団の胡散臭さを見事に引き上げながら彼女らの世界観を確固たるものとすることに成功している。さすがに後半の演劇ティックな独白は冗長でもあるとはいえ、基本的にはだらだらとしたリリックを強調することが退屈を導かず、その過剰さを楽曲自体の漸進する力としているのである。


“冬へと走りだすお!”は作詞にかせきさいだぁ、作曲・編曲に木暮晋也を迎えたという点でともすれば同布陣で作られた“くちづけキボンヌ”の二番煎じともなりかねないところを、渋谷系からの引用をやり過ぎなほど直接的に行うことで(わざわざ指摘する必要も無いだろうが、中盤の「語り」はあからさまに小沢健二“愛し愛されて生きるのさ”とかせきさいだぁ“冬へと走りだそう”を下敷きにしている)その明け透けさを利用しながら既視感を周到に回避している。
同時に、冴えたアコースティックな質感と現代的に小ざっぱりとまとめられたアップテンポな曲調は6人の特徴的な声と精緻とは程遠くも愛らしいハーモニーを活かしながら、90年代懐古趣味を拒むことを表明する。ここで彼女らは渋谷系の時代に生きたアーティストたちの自意識をそのまま引き受けるわけではなく、あくまで風通しの良い小品的ガールズ・ポップとして昇華させているわけだ。そこにあるのは決して教養主義ではない。


この2曲の主題(すなわちあからさまな物語吐露と、渋谷系の再解釈ポップス)は特に目新しいアイディアというわけではない。しかしそれをアイドルポップスというマーケティング・タームの上で、自分たちの流儀をもって料理していくことで一つの突破力を持つ楽曲に仕立て上げている。無論、こうしたむしろアイドル外からの文脈を孕みながら活動していくグループはいわゆる「サブカル」的な発想と結びつきやすいものであるわけで、そうした点に対する拒否感が無いわけではない。
しかし、アイドルブームなるものが現にあってその中でニーズに合わせた要素への一極化が推し進められている中こういった外に向けた魅力を意識しながら展開しようとするグループの存在は重要であると言えるし、次に何が起こるかわからない高揚感がある。同時にその前提として重要であるべき楽曲やパフォーマンスが魅力的である以上彼女らを評価しないわけにはいかないのではないか。彼女らが次に何を取り入れるのかはわからないが、おそらくまた驚きに満ちたものになるだろう。世界は窮屈で退屈だが、それは知性と一摘みのシニシズムがあれば突破出来るものでもある。