乃木坂46@Zepp Tokyo観てきた

乃木坂46Zepp Tokyo公演を見に行ってきた。昼夜で見て、うーんとにかく最高だった……アイドルというなんだかよくわからない性の搾取を基調とした狂った文化がかくも人を幸せにできるものなのか、狂っているのは果たして俺なのだろうか、みたいな。ものすごく個人的な雑感であって客観的になどなれるわけない、あの場を共有した人々に対して「あそこ良かったよな!?やっぱ最高だったな!」と語りかける以上の価値は持たない文章なのですがとにかく放出しておきたいので。


とりあえず良かったとことして、まずはメンバー一人一人がきちんと仕上げてきているというか、自らの表現をどうすべきかという点について非常に自覚的であったのは素晴らしいことだと思う。例えばそれは笑顔であり続けることであったり、タイトなダンスであったりと、優位性というのはとにかく様々な点があると思うのですが一人ひとりが自らの持つ「何か」を持ち味にしていこうという選択し、それを見事にパフォーマンスに反映させているのは面白いし見てて飽きない。個人個人の妙技の素晴らしさね。
特にその傾向はアンダーメンバーに顕著で、メディア先行型アイドルである乃木坂46のメンバーでありながらメディアに映る機会の少ない彼女らがライブの一回性にかける意気込みというのは非常に泣けた。そのピークが『春のメロディー』であることは言うまでもないだろう。『狼に口笛を』も良かったけれど……。とにかくマスゲームティックにならないというか、個人個人のズレが押し出されていて画一化されていない所には大いなる好感を持てた。とにかく全員良い。これは凄い、最高最高だと思うよ。
それと乃木坂46の素晴らしいところであるアンチ競争というある種テマティックなシステムがライブにも反映されていて、例えばMCの最中や曲の最中でもメンバー同士のイチャイチャというか、なんかこうやって書くのも恥ずかしいんですが何気ないやり取りが結構垣間見えるというのも良かった。その事を涼しい顔で「統率され切れていない」と述べ立てるのも簡単だとは思いますがまあアイドルに何を求めているかという問題ですよね。
無論、確かに、そうした個人のパフォーマンスや仕草に対する注視というのは容易く反転せざるを得ないわけで、悪い点としては例えば統制されたタイトなパフォーマンスに揺らぎを垣間見る楽しみであったりもしくは統率された火の玉のようなエネルギーを感じることは難しいように思えた。とはいえ、この点はあまり大した問題ではなく、何故ならばむしろ素晴らしい楽曲で素晴らしい女の子が大勢自分のリズムとソウルで歌い踊るという事のあまりにプリミティブな快楽は統制された美をあっという間に乗り越えるものであるからだ。このプリミティブな快楽の頂点が『ぐるぐるカーテン』〜『おいでシャンプー』〜『走れ!Bicycle』の流れであってこの多幸感(使い古された表現ではありますがコレ以外に思い当たる言葉があるのならむしろ教えて欲しい)はもはやEを食ってブッ飛ぶのより気持ち良かった。最高、フレーミング・リップス超えた。


しかしねえ問題はそこにあるんですよ。あまりに商品化されてない素晴らしさというか、素晴らしい女の子と素晴らしい楽曲と素晴らしい振り付けを用意すれば素晴らしいのは当たり前であってそれを乗り越えて何かを提示する知性というのが感じられなかった。それは100%運営が悪いのだけれど、とにかく乃木坂46という集団が果たして何をやりたいのか?何をやらせたいのか?というヴィジョン、共通認識は厳しい言い方ですが一つも提示しきれていなかったと思う。テレビ的というか品良くまとまってしまっているというか。
商品化しない、というのが商品としてのあり方だと言い切るのならばそれでも良いとは思いますが(むしろワタシはそれを評価する一人でもあるので)じゃあもっと曲の完成度のブレを無くしたり、あとメンバーの格差というか、どうしても選抜組が多く出ざるを得ないという構造を変えたりとやれるべき、やるべき事は無数にあるわけですがそれを是正するつもりも感じられなかったしやはり中途半端な感は否めない。それと結局「アイドル」という文脈で売り出している以上そうした魅力というのはいずれ擦り切れていくというのを我々は何度も経験しているのであって……余計なお世話かな?でも来年もこうやって淡々とした売り出し方をしていくのか心配になった。まあ今が最高だと俺ら転がっていくのも良いと思うけれど。
あとMCはそもそもカチっと作り込んだやはりテレビ的な技法が良くも悪くも目立った……のは全然良いとしてもオタクたちがレスを求めて騒ぎ続けてMCを誰も聞いてないのではないか?と思わされるほどの賑わいというのはこれはいかんでしょう。そもそもダンス=セックスであると同時にアイドルのそれは一種の宗教的秘匿のような色彩を帯びた密室性における隠すべき愉悦であると考えているのですがそれを自らのステージまで矮小化させないと解釈しきれないというのは基本的に成熟が足りない。なんのためにステージが高くあると言うと、それは観客と彼女らがその分だけ隔絶されている事を冷酷に示しているからなんですが、とにかくそれを理解してない輩は本当にどうかと思いますよ。


こうして書くと悪い点を後に書いてるせいでなんか良くなかったみたいなんだけどステージに注視してる分にはとにかく最高だったということを記しておきたい。各論的に挙げていくとするならば『せっかちなかたつむり』のスタンドマイクで歌う年長メンバーと後ろで歌うヤングたち!の構図に常人であるならモータウンっぽさを見出さずにはいられないし、何かに到達することは出来ないけど探し続ける彼女らのその過程を激エモーショナルに現した『指望遠鏡』も最高。それと『やさしさなら間に合ってる』のしっとりしたキャッキャウフフ感も感無量だし『偶然を言い訳にして』はやはりクラシック中のクラシックだった……。


ライブ直後の興奮による恥辱を隠さずに書いてしまって恐縮ですが、雑感としてはそんな事を思ったりしました。